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ポリフェニーとしてのMerry / 平野到

「あなたにとってMerryとは何ですか?」この単純な質問を街角の人々に投げかけ、その笑顔とメッセージを取材し、ポスターを制作していくこと。それが継続中の水谷孝次のプロジェクト、"Merry"である。もともとグラフィック・デザイナーとしてのキャリアも持つ水谷だが、近年は非営利的なこのプロジェクトを原宿、ニューヨーク、ロンドン、神戸などの都市で行い、同時に展覧会を開催し、さらにプロジェクトを編集した出版物も幾つか刊行してきた。

このプロジェクトはデザイナーやアーティストが自らの作品を紹介し、それを誇示するようなものではない。むしろメリー・プロジェクトとは、様々な人が集い、能動的に参加することによってコンセプトを共有し、それを無限に拡張していく可能性を持ったものである。このように記述すると、様々な人が参加できる形式、いわゆる"参加型"という点だけで、このプロジェクトが語られてしまうかもしれない。しかしそれ以上に評価すべき意義深い点が、メリー・プロジェクトにはある。それは、このプロジェクトが同時代に対し前向きな展望を持っていること、そしてそのポジティブな展望を皆で共有していこうという姿勢を打ち出していることだ。この点は日本のアーティストや文化人がネガティブな視点やアイロニックな立場から表現・発言するのを"格好良い"とするのと、好対照を為している。

こういった積極的な展望を率直に志向していくコンセプトが最大限に発揮されたのが、震災復興の一環として神戸で行ってきたメリー・プロジェクトであろう。阪神・淡路大震災では人命や物質的なものだけでなく、精神的なものも含め、多くが一瞬のうちに崩れ失われていった。この悲しい出来事を未来に向け、どのように埋め合わせていくかを考えていくことは、たとえ直接震災を経験していなくても、倫理的に生きようとする者にとって、無視できない課題である。水谷もそういった問題を敏感に感じとり、数年にわたり神戸に関わりながら、メリー・プロジェクトを展開してきた。神戸市民の笑顔を撮影し、その本人の夢や希望についての直筆のメッセージとともに制作されたポスターは、恣意的に作られる商業的なポスターには決してない、伸びやかで自然な開放感に満ちている。そしてこの神戸のメリー・プロジェクトで際だつのが、悲しい過去を乗り越えるために、敢えて現在から未来に向け前向きな展望が強く打ち出されていることだ。過去の惨事は確かに忘れがたいが、それを乗り越えていかなくてはならない現実が"今ここ"にある。何よりも現実を強く生きていくためのビジョンを獲得していくことが、神戸でのメリー・プロジェクトでは促されているのである。

この現実を強く生きるというビジョンは、震災を経験した神戸だけでなく、現代の日本社会全体に必要とされている。多くの日本人は現在の状況に不満を抱き、前向きな姿勢を維持できないところに追いつめられている。他人の不正を告発する快楽に溺れるマスメディアや、自己の不快を安易な衝動性で解決しようと図る不穏な事件の数々は、この点を象徴している。それらは、経済不況、政治や教育の腐敗という社会構造のせいにされがちである。しかしそこに個人の問題から逃げようとする日本人の弱さを垣間見ることができないだろうか?

私には、一人一人の閉塞した精神に日本の不調の元凶があるように思えてならない。たとえ社会構造に欠陥があったとしても、個人がポジティブな精神を保てば事態はもう少し好転する可能性も秘めているはずだ。こういった日本に関する危機意識を背景に水谷は、もっとポジティブな精神を私たちに回復させ、それをコミュニケーションを通して広く共有していくことの重要性を認識している。メリー・プロジェクトとは、この問題の具体的実践なのである。

さらに水谷の眼は日本という国を越えて、海外にも向けられている。その一例が、今回のニューヨークにおけるメリー・プロジェクトである。同地の9月11日のカタストロフィーや、それに関わる一連の深刻なテロと戦争が証明するように、21世紀になり明らかになったことは、平穏ではなく不和が、友情ではなく憎しみが、世界にはまだまだ奥深く存在している点である。こういった問題の多くは、忘れがたい過去の歴史的因縁に関係している。しかし人々が過去の憎悪からいったん離れ、前に眼を向けるようになれば、深刻な状況は少しずつかもしれないが、打開できる可能性があるはずだ。メリー・プロジェクトはこういった世界的な問題意識に対しても、直接に関わることができるコンセプトを秘めている。もし生活習慣、宗教観、倫理観の異なる様々な人々のメリーな笑顔とメッセージを取材し、プロジェクトとして結実させることができれば、それは我々に「世界」を考える契機を必ず与えてくれるに違いない。考え方の異なる人々の異なるメリー(幸せ)。このポリフォニーとしてのメリーが、私たちに改めて教えてくれることがあるだろう。世界は決して一元化できないが、その本当のポリフォニーは決して不協和音ではないということを。


[ひらの・いたる / 埼玉県立近代美術館学芸員]

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