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日本社会へのデザイン / 平野到

失ったものを容易には埋め合わせることのできない出来事がある。阪神・淡路大震災はそういった社会的出来事の一つに違いない。人命や物質的なものだけでなく、精神的なものも含め、多くが一瞬のうちに崩れ失われていった惨事であった。この悲しい出来事を未来に向けて、どのように埋め合わせていくかを考えていくことは、たとえ直接震災を経験していなくても、倫理的に生きようとする者にとって、無視できない課題であろう。グラフィック・デザイナーの水谷孝次も、そういった問題を敏感に感じとってきた一人である。

その水谷孝次の具体的な行動とは、震災復興のために神戸で展開してきた「メリー・プロジェクト」である。プロジェクトは極めて明快だ。神戸市や阪神地区の市民の笑顔を撮影し、その本人の夢や希望についての直筆のメッセージとともに、ポスターを制作するというものである。美形のモデルや有名人でなく、普通の人々の日常の笑顔、そして思い思いの手書きのメッセージ。それらは、恣意的に作られる商業的なポスターには決してない、伸びやかで自然な開放感に満ちている。

確かにアーティストが過去の出来事に対し、記念碑や慰霊碑として彫刻や建造物をつくることは、決して珍しくない。そしてそれらには、過去の悲しみを風化させることなく記憶に残していくという意味が、込められる。しかし水谷孝次のメリー・プロジェクトは、そういったモニュメントを建てるような内容とは、対極的な方向性をもっている。

まずメリー・プロジェクトは、物質的なものに頼る内容ではない。巨大なモニュメントを建てるわけではなく、あくまでもポスター1枚を通して、視覚的に訴えかけていくのである。またメリー・プロジェクトは、デザイナーやアーティストが自らの表現を一方的に作りあげ、示すものでもない。このプロジェクトは、様々な人々が笑顔とメッセージを通して能動的に参加することによって、初めて成立する。そして参加する人々がプロジェクトの意義やコンセプトを共有していくことにより、プロジェクトは裾野を拡げていくのである。従ってメリー・プロジェクトとは、モニュメントが持つような求心力を目指すのではなく、あくまでも人々の内面に共有できる精神的な繋がりを遠心的に拡げていくことに主眼を置いているといえるであろう。すなわち、それは物質的な復興ではなく、あくまで個人の内面的な再生を念頭に置いたものであり、ハードではなくソフトの部分の活性を重視しているのである。

更にメリー・プロジェクトの特徴として指摘できるのは、このプロジェクトが悲しい過去を乗り越えるために、敢えて未来に向け前向きな展望を強く打ち出していることだ。過去の惨事は確かに忘れがたいものであるかもしれないが、それを乗り越えていかなくてはならない現実が今ここにある。そういった観点からメリー・プロジェクトでは、何よりも現実を強く生きていくためのビジョンを獲得していくことが企てられているのである。

この現実を強く生きるというビジョンは、震災を経験した神戸だけでなく、現代の日本社会全体に必要とされているものであろう。多くの日本人は現在の状況に不満を抱き、前向きな姿勢を維持できないところに追いつめられているからだ。他人の不正を告発する快楽に溺れるマスメディアや、自己の不快を安易な衝動性で解決しようと図る不穏な事件の数々は、この点を象徴している。もともとこういった現代の病んだ日本社会について危機意識をもっている水谷孝次は、その不安な状況に対し、ポジティブな精神を回復させ、それを広く人々に共有させていくことの重要性を認識している。それゆえ神戸のメリー・プロジェクトとは、震災後の回復という枠組みを越えて、日本社会全体における精神の再生の問題に通底する意味合いを持っているのである。元来グラフィック・デザインを専門とする水谷孝次にとって、メリー・プロジェクトとは日本の社会に対してポジティブな精神の回復を訴える"最強のデザイン"なのである。


[ひらの・いたる / 埼玉県立近代美術館学芸員]

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