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Merry その生い立ちと成長について / 金子義則

Merryの物語は、ある生き物の生い立ち話のようである。誕生のきっかけは、著者であるアートディレクター水谷孝次が99年の春にアメリカを旅行中、バスの中で偶然出会った少女たちの笑顔をほんの数分間、たった1本のフィルムに撮ったことだった。走るバスの車窓をよそに、友だちと無邪気に戯れている少女たち。くったくのない楽しそうな笑顔に無意識に反応したような連写には、もちろんブレもボケもある。しかしカメラのファインダーと子供たちが、たわいもない対話を楽しむかのような写真群には、なごり惜しいような明るい幸福感が封印されていたのである。なんの前提もなく、見る者にただひたすら前向きな幸福感を分け与えてくれるかのような…。そのことが、水谷の中に大きなひらめきをもたらした。

「世紀末という言葉から連想する暗い話題はやめにして、ポジティヴに楽しく過ごしたい。そう思って、自分に何が出来るだろうかって考えてみたんです」(『ブレーン』誌 99年12月号)。

この不思議な力を持ったスナップを、一冊の写真集として残したいと考えた水谷孝次は、周囲の人々に見せ、さかんに意見を求めた。『Merry』というタイトルもこの時分に生まれている。

「(Merryとは)そもそも"楽しい"とか"幸福"などの意味ですが、限定はしていません。前向きで楽しいイメージの総称みたいな感じでしょうか」(水谷/毎日新聞2000年1月13日付)

本の仕様は始めからイメージされていた。横長に蛇腹構造になった厚手の紙に表裏各15点ずつ、合計30点の連写スナップをネガの順番のまま収める、というもの。こうして写真集「Merry/終わらないメリーゴーラウンド」(インファス刊)は同年11月30日に刊行された。11月27日から12月24日まで表参道のモリ・ハナエ・オープン・ギャラリーにて、これらの写真を展示。喧噪の中を行き交う人々に明るいオーラを手向ける写真群が話題になった。

出版からこの展示が実現するまでの間にも、Merryが成長を止めることはなかった。『Merry』にはラフォーレ原宿の企画関係者も早くから興味を示しており、やがて「Merry at Laforet 2000」が、2000年1月4日から16日まで、ラフォーレ原宿全館を会場に行われることになった。
会場の大きさと知名度は、単に本に収録された写真を展示するだけの規模から抜け出ることを求めていた。

「写真集のパネルを並べただけで、本当に観る人の心を掴むことができるだろうか。共感してもらえるだろうか。そう考えるうちに、身近に感じてもらうには、少しぐらい本から離れてもいいんじゃないかと思うようになってきたんです」(水谷/前出『ブレーン』誌)

展示には2つの趣向が設けられることになった。第1の柱は6階のラフォーレ・ミュージアムで写真集の写真を展示すること。そして「本から離れる」形で発案されたのが次のMerryのスキームとなる原宿の少女たちの膨大なポートレートだった。毎日のように水谷が原宿の街に立ち、デジタルカメラで少女たちの笑顔を撮影し、数千枚の写真の中からミュージアムを構成する数百枚をパネル貼りしていった。写真だけではない。その子たちがどんな夢や願い、憧れをいだいているのか、被写体の少女たちが手書きで添えるフォーマットになっていた。第2は「あなたのMerryをポスターにします」と銘打たれた一般参加によるポスター展。ラフォーレ館内のあちらこちらを埋め尽くす。つまりMerryを見に来た観客もまたMerryの被写体になるという趣向だ。

ミュージアムでの展示で欠かせないキーマンとして参加したのが、空間デザイナーの吉岡徳仁。イッセイ・ミヤケなどの空間デザインで知られる。両面貼りした写真展示パネルを、位置も角度もランダムに天井から吊り下げる、という空間構成になった。しかも、小さいスピーカーをパネルの中央部に据え付け、あらかじめ被写体の少女たちから夢や憧れを語る声を吹き込んでもらい、会場でループ再生させて、夢想空間のような音響感を作ってみせた。

何もかも、これまでありがちだった展示コミュニケーションの隙をつくような形なのだが、それは水谷孝次が広告というコミュニケーション全体へ向けて抱いていた違和感を受けている。

「写真を使う仕事のなかで失われてきていると感じたコミュニケーションの機能。それを復活させるのは、カメラマンの存在が消え去って、被写体そのものが作り出す笑顔、幸福さの空気感」(水谷/『アサヒカメラ』2000年1月号)

新しいコミュニケーションの形を提案したい。その思いがますますMerryという企画に活力を与えていった。

その場で撮影した写真をただちにB全サイズのポスターにしていく、というコンセプトには技術面でのサポートも欠かせない。エプソンの協力で「MAX ART PM-9000C」が会場に設置され、どんどんオリジナル・ポスターが出力され続けた。会場で撮影されたポスターは、ミュージアムから溢れてラフォーレ館内へ。そして会場の外にまで…、と、笑顔のポスターは増殖しながら、大きな賞賛の中で会期を終えた。

期間中、3万人を超えるミュージアムへの来場者だけでなく、そしてさまざまな企画制作の仕事をしている多くの人々がMerryの世界に引かれ、会場提供やコラボレーションを水谷に提案してくるようになった。

2000年4月4日〜7日まで、新宿エプソン展示場にて「Merry at EPSON 2000」が開かれる。海外からも多くの反響が寄せられた。宝島社が主催してニューヨークで開かれた東京カルチャーの紹介イベント「TOKYO STREET 2000」展に招待され、チェルシーにある大会場の一面を使って「Merry at New York 2000」を展示したのが2000年5月。ロンドンからは日英同盟締結100周年にあたる2001年ジャパンイヤーに際し、セルフリッジ百貨店でのイベント「Tokyo Life」の中心的イベントとして「Merry at Selfrige 2001」を2001年5月に開催することに。それと同時にもう一度ラフォーレ原宿で「Merry at Laforet 2001」を開催する。

名は体を語る。このタイトルの「at」の後にどんな地名がはめ込まれても、地球上のあらゆる場所に生物が存在するように、Merryは形を変え、人々との交流を通して成長し、また次の旅へ向かう。Merryとは、新しいコミュニケーション――。その理想がさらに多くの場で実証を待っている。


[かねこ・よしのり / 写真評論家]

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