カンボジアと子供たち その3

 4日目

この日はプノンペン市内にあるゴミ山とそのすぐ隣にある小学校を訪ねる。
まず朝から、大きな大きなゴミ山のすぐ隣にある小学校へ
屈託のないキラキラとまぶしい位の笑顔で出迎えてくれる子どもたち
我れ先にと競うように手を引かれ校庭へ
立っているだけでも汗が噴き出してくるような炎天下の真夏日に焼かれながらも
早速散り散りになり、汗だくになりながら遊ぶ
大人になってからこんなに一生懸命、ふらふらになって立てなくなるまで
子供と向き合い、遊んだことがあったかな?
おそらくなかったようにおもう。
思考することも億劫になる
考える前に体が自然に動いている
ついつい笑っている自分に気付く
大人と子供がどろんこにまみれてはしゃいでいる

     

この風景はすごく見てて嬉しい
これまでボランティアという響きに何か引っかかりを感じ参加を躊躇していたが
助けるとか支援とかこちらからあげるだけではなく
現地へ来て実際に会って得れるものからしたら
よっぽどこちらのほうが色んなものを貰っている気がする
日本から持参したシャボン玉や鉛筆を喜んでくれたのは
すごく嬉しかったけど
お金やモノとか目に見えるものじゃない本当に大切なもの
言葉では説明できない言葉
言葉なんて通じなくたって体を動かし一緒に笑えば楽しい
知ることでぐっと距離は近くなる
それだけでこのツアーに参加して良かったと思える瞬間だった

  

今回のツアーで自分の中でのメインスポット ゴミ山へ
テレビで観たブラウン管の中のゴミ山は
平らで、うすっぺらく、重みもなく、臭くもなかった。
でも、本当のゴミ山は高く、広く、そこで必死に生きる人々の生活感があり
そしてとんでもなく臭かった。正直言って。
臭いにもいろんな種類があり、生ゴミ、プラスチックの燃えるにおい、
ヘドロ、錆び、色々な何かの腐臭、ゴミから出るガス、
とにかくこんなにも色んな匂いの洪水の中で生きている人々を思うと
胸が苦しくて、目も鼻も背けられなかった
ここの空気をいっぱいに吸い込んで忘れないことが
ここにきた今の自分にできること、ただそれしかできなかった。
劣悪な環境の下、大変なんだろうと思っていた
しかし、後日聞いた話でそれはこっちの思い上がりだったことを知る。
ゴミ山で働く子供に酷な質問
「また生まれ変わってもゴミ山で暮らしたいですか?」
答えはもちろんNOだと思った。
でも実際はYESだった。
その子供が言った言葉は
「お父さんとお母さんがそばにいて暮らしていけるなら
それだけで幸せだよ。それが、たとえゴミ山だろうと
だから生まれ変わってもゴミ山で暮らしたい。」っていうことだった
大切なものほど答えはシンプルだった。
どこに生まれてもどこででも暮らしていける人間の生の強さ、たくましさを感じた。
晴れた青空ともくもくの入道雲がまぶしかった。

  

次回へ続く。。

カンボジアと子供たち その1
カンボジアと子供たち その2

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