MERRY COLUMN メリーコラム

Vol.337 2010.12.08 WED

11月23日~30日まで「MERRYな音楽で世界を笑顔に!!」をコンセプトにラオスで行われた、
つんくさん(TNX)と民際センターとのコラボプロジェクト“MERRY MUSIC in LAO”が
開催され、3つの村でプロジェクトを展開しました。

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バンコクを出発して、ラオス航空の小さなプロペラ機でラオスで三番目の都市、
サバンナケットへ向かう。メコン川までは、タイの国土の上を飛ぶ。
土色の水が流れるメコン川を超えるとすぐにラオス。
空港といってもほとんどゲストハウスのような小さい建物で、
飛行機も1台もいないような小さい空港。

ラオスには住所が無く、郵便も無いので、通信手段も無い。
インフラが殆ど整備されておらず、インターネットもごくごく一部。
正に陸の孤島状態の国。

空港からポンサワン村に向かう。
しかし、アスファルトの道路ではないので、道はガタガタ、ボコボコ…。
1時間くらいで到着するところ2時間かけて、夕暮れ近くに村にやっと到着。

ラオスの人々には、訪ねてきてくれた人々に対して大歓迎をする風習がある。
村に到着した途端、学校で何百人もの子どもたちと先生が
ラオスの国旗と日本の国旗をバタバタ振りながら待っていてくれ、
先頭で待っていた子どもたちは、
僕たちに村で詰んだ花束をプレゼントしてくれた。



学校の中に入ると、子どもたちが周りに集まってくれたので
この大歓迎に対して、僕は笑顔の傘で応えることにした。
夕方で、周りも暗くなり始めていたが、笑顔の傘を全部取り出して、
村の子どもたちと先生に傘を渡した。その傘をみんなで開いて、
みんなで集合写真を撮った。1人の女の子は村の唄を歌ってくれた。
そうこうしているうちに真っ暗になったので、泊まる村へと向かった。



この村は、まるで100年前の日本の農村という感じ。
ラオスでは暑さや洪水対策のため、昔ながらの高床式住居になっている。
村の中には牛や豚、ニワトリが放し飼いにされている。
トタンで作ったトイレも野外にあるほどで、ほとんど野宿の世界で驚いた。

しばらくすると、村の人々がみんな集まってくれて、また大歓迎会が始まった。
すると「バイシー」という、儀式が始まる。
この儀式はバナナの葉で作ったバイシーの木の周りに旅人と村人が集まり、
ともに会った喜びと永遠のつながりをお祈りする儀式。
旅人の手首に村人が聖糸(木綿のひも)を結ぶことで、村人と旅人を繋ぎ、
幸せを祈るという意味での村のMERRYな行事。
あっという間に腕には真っ白な糸がぐるぐると巻き付けられた。



次にお食事会に突入。小さな小皿がたくさん並べられて、
その上にいろんな食べ物が乗っている。
各村の各家庭のお母さんが3種類くらいの料理を作り、持ち寄ってくれたものだった。
それを最初に旅人と村の男性陣が食べる。

地鶏の料理
カエルのつくだに
貝のつくだに
サワガニの蒸し料理
村で取れた山菜の葉っぱ など
特にバナナとサツマイモのような芋が美味しかった。

藤で編んだかごの中にもち米が入っていて、
それを手で食べるのだが、それがとても美味しい。箸は無い!

次にラオラオという40度を超えるお酒が登場。
客人はそれを飲まなければいけないのだが
僕はお酒が飲めないので、退陣。
特に今回の旅のリーダーである民際の関口さんは
いつも飲み慣れているのか、一気にお酒を飲んで、
TNXの飯田さんと小林さんも進められるままに飲んでいました。
僕はお酒も飲めないし、おなかがすいていることもあり、
どんどんご飯を食べたのですが、やはり香辛料がきいているので何を食べても辛かった。

僕たちと男性陣が食べ終わったころ、
やっと村のお母さんと子どもたちが同じ料理を食べる。
お母さんと子どもたちが食べ終わった後の残り物は、
村の家畜である豚や牛、鶏がそれを食べるというしくみ。
残り物は出ることがないので、生ゴミもでないし、ゴミ箱もない。
必要のないものは、村の端っこで燃やして、土に還すのだ。

みんなが食べ終わった頃、お呼びがかかり、お寺で歓迎の踊りの会が催された。
お寺に行くと、子どもたちが学校の制服に着替えて、歓迎の踊りを踊ってくれた。
村人から一緒に踊ろうと言われたので、みんなで一緒に楽しく踊った。

歓迎会が終るころ、旅の疲れもありお風呂に入りたいと思ったが、この村にはお風呂は無い!
お風呂のかわりに水浴びをしようと思ったが、水瓶に水が張ってあったのだが、
夜は意外と涼しく、水浴びは断念。足だけ水をかけて、タオルで体を拭いて寝ることにした。

寝る前にまず、蚊にさされてはいけないので、部屋の中に蚊帳を張る。
しかし、壁には大きな穴がいっぱい空いていて、トカゲが壁にはりついて鳴いている!
穴からは風がピューピュー入り、肌寒い。
板の間の上にマットレスのようなものを敷いて、
バスタオルのようなものを上にかけて寝るだけの野宿のような感じ。
ほとんど「世界ウルルン滞在記」の世界!
覚悟はしてきたが、現実、この年齢になって、
このような状況に追い込まれるとは思わずに、とてもショックを受けた。
取材には体調を万全に整えてから、これまで世界を回って過酷な旅を続けてきた。
タイ少数民族の村へ行っても、さすがに研究所のゲストハウスに泊まったりしていた。
今回は体調不良のまま、旅に突入したこともあり、
500人以上の撮影取材がこれから3日間あるのに、
この状況で僕の体がもつのだろうかと不安になった。
僕がしっかりしなければと思ったが、体力の面でも精神的にも、
今までで一番最悪な状況にあった。大いに反省した。

明け方になるとニワトリが「コケコッコー!コケコッコー!」と鳴き始め、
ただごとではない合唱が始まった。
そのうちに村のお母さんたちが起き始め、朝ご飯の支度をする音が聞こえはじめ、
なかなか寝付けないまま、朝を迎えた。正に日本の昔の農村の雰囲気。



いよいよ撮影1日目。
ラオスも乾季を迎え、青い空が広がっていた。
朝ご飯を食べて、ポンサワン村の小学校へ向かい、
いよいよ笑顔の撮影とメッセージの取材を始めた。

教室でMERRYのことを説明したあと、外に出た。
最初に照合写真を撮影し、MERRYなメッセージを取材。
このメッセージはMERRY MUSICとして、つんくさんの作曲したメロディーの上に
歌詞として乗せられて、各村で世界にひとつだけのオリジナルソングになる。

メッセージの中で多かったのは

教師になりたい
軍隊に入りたい
警官になりたい
看護士になりたい
日本に行きたい
学校に日本人の人が来てくれること
友達と一緒にたくさん遊べること

などなど、たくさんのメッセージを取材した。

最後に子どもたちがグラウンドに輪になって並び、笑顔の撮影を開始する。
子どもたちの服は白の制服と決められているらしいが、とても汚れている。
クツも無く、ほとんどがサンダルで、汚れた足がのぞく。
ラオスの子どもたちは本当に良く笑ってくれたので、
僕はやっとラオスでのMERRYを感じ始めていた。
午前の笑顔の撮影が終わると、みんな村に帰りお昼ご飯。





午後は歯みがきのワークショップ。
キラキラ星のメロディに合わせて、ラオス語のはみがきの歌を歌った。
これはTNXの飯田さんと小林さんの指導によって行なわれた。
もともと飯田さんと小林さんは元バンドマンなので、楽器演奏はお手の物。
ラオスの子どもたちにとっては、音楽の授業がないので、音程を聞き取る力があまりない。
なので、このワークショップは、ラオスでの初めての「音楽」の授業でもあったようだ。
みんな本当に楽しそうに、歯をみがくことの大切さを理解しながら、笑顔で歌っていた。
まさにMERRY MUSIC。
最後に飯田さんが日本の歌「上を向いて歩こう!」を歌ってくれた。みんな大感動!

歯みがきワークショップのあとに、ライオンさんが提供してくれた歯みがきセットを
子どもたちにひとつひとつ手渡しをすると、大変喜んでくれた。
村に帰った子どもたちは持って帰った歯みがきセットを
お母さんに見せて「大喜び!」だった。



ワークショップの後は、子どもたちと一緒に笑顔の傘を開いた。
みんなで歯をきれいに磨いて、はい、ニッコリ!

そのあと、 まだ夕食まで時間があるので学校帰りの子どもたちと一緒に村のゴミを拾った。
すると大人達も一緒にゴミを拾ってくれた。



昔は土に還るようなゴミしかなかったので、ポイポイと投げ捨てていたが、
今ではビニールやプラスチックなど、土に還らないものも多くなってきた。
今まで子どもたちにどのように教えて良いか、大人達も困っていたようである。
途中、村のおばさんが「あなたたちがここまでやってきて、
子どもたちにこんないいことを教えてくれることにとても感謝しています」と
心からそう言ってくれた。
子どもたちがゴミを拾ったことで、とても「MERRYな村」になった!

ゴミ拾いを終える、夜になると、何だか体の体調がおかしい!
それは、僕だけではなかった。

ある人は辛いものが原因だと言えば、
ある人は強いお酒が原因ではないかと言う、
ある人はこの野宿が原因だと言う。

すると小林さんが、顔を真っ赤にして頭痛や腹痛。
気分が悪いといい、まず最初にダウン。
小林さんを残して、僕たちはご飯を食べに向かった。
小林さんは何も食べずにずっと寝ていたのだが
村のお母さんがそれを聞きつけて、ふかしたサツマイモを2つ持ってきてくれた。
それを食べると、小林さんは少し元気になったようであった。
日本の母もラオスの母も優しい。それは今も昔も変わらない。
やはり母は偉大だと感じた瞬間だった。

僕の体調もなんとか「気持ち」で持ちこたえ、床についた。

いよいよ撮影2日目。
今日は朝から次の村へ向かうことになり、早朝から送迎のお別れの会が行なわれた。
村人たちに感謝されながら村をあとにした。

ポントゥム村は車で20分程度の距離にあって
意外と近い距離にあった。ところが車で20分とはいえ、
村人たちがこの村の間を歩いて行き来していると思うと、大変だなと思った。



ポンサワン村に到着した途端、僕は頭痛と腹痛がひどくなった。
しかし、ポントゥム村は今回で最大の規模の学校で、
子どもたちが200人以上いると聞いていたので、このままでは途中で倒れて取材が
ストップしてしまうのではないかと大きな不安を感じていた。

村の学校に到着する。この学校にある植林された木はとてもきれいで、デザインされている。
9月に日比野克彦さんもこの村の子どもたちと
この木の中で絵を描いてワークショップをしたそうである。

取材を始めれば、体調が良くなると思っていたが、ますます悪くなるばかり。
ポンサワン村で撮影中に一生懸命、「二ム!二ム!(笑って笑って)」と言っているうちに、
のどの炎症がひどくなり、声がガラガラに枯れてしまったのが、ひとつの原因でもあった。
しかし、撮影を途中でやめるわけにもいかず、
子どもたちに一生懸命「二ム!二ム!」と叫び続け、午前中の撮影は終了した。

午後の部が始まるまでの間に、学校でお昼ごはんを食べる。
その後、更に体調がガクっと悪くなって来た。
おなかも痛くなり、立っていられなくなるほどになり、
バスの中で1時間ほど横になることにした。
体調は悪くなる一方で、良くなる気配が全くなかった。
そしてなんだか熱も出てきたのであった。



いよいよ午後の撮影が始まった。
この苦痛の中で、「二ム!二ム!」と言いながら、子どもたちをどう笑顔にするか、
七転八倒しながら撮影を続けた。
しかし、子どもたちもそれを敏感に感じ取ったのか、
子どもたちにも少し元気がない、笑顔が弱いような気がしてきた。

子どもたちの撮影をしているときに、ふと後ろを振り返ると
まだまだものすごい数の子どもたちが並んで待っている!
子どもたちのメッセージのインタビューも次々に行なわれた。
気を失いそうになりながらも撮影を続けた。
そして、やっと最後の1人の撮影が終わるとき、「二ム!」と言いながら座り込んだ。
そして撮影は終わったが、まだこれで終わりではない。
身体に鞭を打ち、這いつくばるように立ち上がり、最後に子どもたちと先生をみんな集めて、
笑顔の傘を開き、最後の力を振り絞って集合写真を撮影したのであった....。



撮影が終わった後、さすがに休めると思ったが
更にバイシーの儀式が始まるのであった!!!
現実は時に残酷であるが、それはとても大事な行事なので、頑張って出席した。

宴もクライマックスのころ、ゆっくりと消え、車で寝た。
遠くからは宴の声が聞こえ、みんなも子どもたちと一緒に踊っているのが見えたが、
僕は記憶がなくなっていくような感じで、眠りについた。

出発の時間になり、みんなが車に戻ってきた。
お別れのために、子どもたちが送りにきてくれたが
僕は起き上がるエネルギーすらなかったので、そのまま車の中からお別れをした。

そのあと車に揺られること1時間。
ラオスのホテルになんとかたどりついたのであった。
ホテルにつくと、他のメンバーはみんなご飯を食べに行ったが、
僕は体調が良くならず、一人、部屋で寝ていた。
「頭が割れる様にイタイ!」

3時間後、体調が少し良くなったころ、みんなが食事から戻ってきて
チャーハンと海老フライを買って持って帰ってきてくれた。
それを少し食べると、いくらか元気になった。今回のスタッフの方々に感謝。
そのあとまた再び眠りについた。



いよいよ撮影3日目。
ポントゥム村からナー村へ。
今度は1時間かけてラオスの少数民族が住む村へ向かう。

村の入り口では、また子どもたちが花を持って、歓迎してくれた。
3日目はだいぶ体調も良くなり、天気もすごく良くてMERRY晴れ。
植林された森をバックに、どんどんと笑顔の撮影を行なっていった。
午前中で150人、すべての子どもたちの撮影を終了してしまうほど
調子が良くなった。最後に笑顔の傘を開き、集合写真を撮影。



子どもたちに笑顔のフリーペーパーを見せると、子どもたちがむらがって、
みんなでかじりつく様にに見ていた。

昼食後は、歯みがきのワークショップ。まず、歯みがきの大切さをレクチャー。
学校の周りは芝生になっていて、教室に入りきらない子どもたちも
そこに座って参加してくれるほど、熱心に歌ってくれた。
ワークショップが終わった後もずっと歌を口ずさんで、
みんな歯を磨くことの大切さを学んだり、歌を歌うことを楽しんでくれた。



僕は教室に入れずに、外で歌を口ずさんでいる子どもたちと一緒に
笑顔の傘を開いて遊ぶことにした。
このときは僕はあえて何も言わず、子どもたちに任せようと思い、
傘の箱ごと笑顔の傘を子どもたちに渡した。



すると、子どもたちは自分たちで考え、傘を開き、自分たちで撮影場所を決めて、
まるで笑顔の傘を遊具として使い、自分たちで楽しんでいるようであった。
まさに笑顔のコミュニケーションを絵に描いた様な究極のMERRYなシーンであった。




次は子どもたち中心のゴミ拾い。
子どもたちはビー玉やゴム飛び、セパタクロー(藤で編んだボールを蹴って遊ぶ競技)
などで遊んでいるが、基本的に遊び道具というものがあまりない。
ゴミ袋を与えると、子どもたちはまるでゴミ袋を遊び道具のように取り合った。
ゴミ袋をもって、学校の周りを回ると、みんながゴミを取り合うように拾う。
遊ぶよりもゴミを拾うことの方が楽しくてしかたがないようだった。
子どもたちのエコ活動は地球の未来への希望だ!

植林だけが環境ではない。
ラオスの中にゴミ拾いを教育として、入れて欲しいものである。
そうなれば、大人達もゴミを捨てなくなり、
環境も良くなり、ラオスは美しい国となるはずである。

この日も僕たちを送るためのバイシーの儀式が始まり、それに出席。
また村人たちによる大歓迎のもと、僕たちは村を去っていくのであった。



これでラオスでの3日間の取材は全て終了。
のべ、550人近い笑顔を撮影し、メッセージを取材した。
このメッセージが歌詞となった各村ごとの
オリジナルMERRY MUSICができることになる。

今までインドやアフリカなど世界26カ国を回ったが、
ラオスがこれまでで一番大変な国であった。
しかし一番MERRYな国であった。

貧困な国は衛生状態も悪く、みんな虫歯になり、歯が悪くなる。
歯を磨くことということがいかに大切かということがとてもわかる。
笑顔になるために、このように歯を磨きながら音楽教育をするということが
やはり未来へのラオスにとっても、未来の地球にとっても大切である。

現代の日本の子どもたちにとっては、物がとても溢れている時代。
それはある意味、恵まれていて「幸せ」なのだけれども、
昔と比べても物への愛着を失っている子どもたちを見ると少し悲しい。

そして日本の人達にも知ってもらいたい。
ラオスのように物を大切にして、愛着を感じてくれている子どもたちを見ると、
日本の子どもたちとラオスの子どもたちを交流させて、
物を大切にすることを教えたいと思う。
そして、ラオスの子どもたちに良い教育をさせてあげたいと思う。
日本の人達にもこのようなラオスの状況を知ってもらい、
MERRY MUSICへ寄付をもっと集めて、
ラオスの子どもたちにより良い教育をさせてあげたいと思う。
やはり「教育」が資産であり、「教育」が未来の地球を作る。と
それはキューバのカストロが言っていたことを思い出し、
ラオスでも確信した。

このラオスの子どもたちの笑顔が本当のラオスのMERRYな街づくり、
国づくりに繋がっていくことを願っている。


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