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24.May.2007

  • Kyoncy

写真家:荒木経惟さんのこと

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ふりむけば愛のひと

荒木さんの写真との出会いは、高校時代。
たまたま手にとった写真集でした。
妻、陽子さんが病に侵されていることがわかり、その後、入院して亡くなるまでをエッセイとともに記録したものです。
その中の一枚を見たわたしは、知らない内に涙を流していました。
そこに写っていたのは奥さんの陽子さんが、棺におさめられている姿でした。
その口には真っ赤な口紅がほどこされていました。
いえ、モノクロの写真なのでもちろん色はついていないのですが、その写真には確かに鮮やかなまでの「深紅」を感じました。
そしてその口紅は荒木さんが引いたものでした。

映画でも、小説でもない、戦場写真のような悲惨なものでもない、この写真がなぜこここまで心を揺さぶるのか、その時はわからずじまいでした。

「奥さんの写真を売り物にして、ここまで(亡くなった人)撮るのはやりすぎ」と非難する人もいましたが、わたしは荒木さんの「妻をもっと見ていたい」という純粋な気持ちがひしひしと伝わってくるようで、胸が締め付けられるようでした。
そこには混じり気のない「愛」を感じました。

それから自分も写真を撮ってみたいという気持ちになり、学生時代はモノクロ写真を暗室で焼いたり、荒木さんの写真展があると通っていました。
今から思えば、女子高の制服を着てヌードの写真展に行っていたのはわたしぐらいだったと思いますが・・。ぜんぜん気になりませんでした。

荒木さんはいつも大勢の人に囲まれ、あの独特の髪型と江戸っ子らしい口調で明るい雰囲気をつくっていました。
しかし、ある時、まだ人気のない写真展の会場に荒木さんがひとりでいて、その表情は普段と違い、もの凄く真剣でした。でも、誰かが会場に入ってきた次の瞬間は、たちまちいつもの「アラーキー」に戻っていたのです。

そんな荒木さんをインタビュー、撮影できるという幸運な機会を得たのは今年2月のこと。
「Shimokita style」というフリーペーパーでの巻頭インタビューでした。
荒木さんはここ数年、下北沢にある「ラ・カメラ」というギャラリーで毎月個展を開催しています。ポラロイドの小さな写真ですが、毎月!ですよ。

写真展やアートの個展をやったことのある方ならわかると思いますが、一定のクオリティーの展示を継続的に、しかも何年も続けてゆくのは大変なパワーがいるもの。
まず、それに驚かされました。

インタビューはその個展のオープニングパーティーの前にやる事になり、ドキドキした気持ちで荒木さん待ちました。
訪れた荒木さんは「え、なに?インタビュー?そんなのあったっけ?じゃーはやくやってよ」と開口一番、そんな感じ。

雑誌の主旨を説明し、下北沢にまつわる話を聞こうとしたところ

「下北沢は若いひとばかりで、好きじゃないんだよ」とのこと

そこから始まる自身の写真談義、これから出す写真集のこと、そしてデジカメはコンパクトカメラ以外使っていない事。とても面白く話してくれました。
人を楽しませようというサービス精神、ピリリとした毒舌、そしてこの年代の男の人独特の「照れ」それらが混然となった、なんとも魅力的な人でした。

そして、最後に「写真をお願いします」とストロボを組み立てようとしたところ、

「何?準備あんの?さっさと撮ってよ!」

と言われてしまい、そして周りを見るとオープニングパーティーを待っているお客さんの面々。
これはライティングなどしている暇はないと、ノンストロボでデジカメを構えました。
会場のライトは思ったより暗く、手ブレしてないかととても緊張しながら撮ったほんの数枚。
そこには感じたとおりの笑顔の荒木さんが写っていました。
シャッタースピードは相当遅かったはずなのにブレていませんでした。
ストロボを組み立てて、ライティングを施して撮った写真ではこうはいかなかったと思います。
もしかしたら、写真家のカンで、ブレないようにゆっくり動いてくれていたのかも知れません。
もし、そうだとしたら凄いこと。「愛」をも感じてしまいます。
この写真は荒木さんがわたしに「撮らせてくれた一枚」。そう思ってこれからも写真を撮り続けたいと思います。

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14.May.2007

  • Kyoncy

★その日の天使。

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わたしが好きな故・中島らもさんのエッセイにこんな一節があります。

「人にはみんな、ひとりづつ、『その日の天使』がついていて、どんなに絶望的な気分になっても、様々な姿をした天使が助けてくれる」

というものです。
かなり昔に読んだ本なので、少しうろ覚えなのですが、らもさんが好きなロック歌詞の日本語訳だそうです。
らもさんによると、その日のらもさんは色々な事が重なって、もう死んでしまいたくなる程落ち込んでいたそう。そんな中、街を歩いていたら石焼き芋屋が通りかかりました。
石焼き芋屋のスピーカーからは「おいも、おいも、ふっかふっかおいも♪」といったメロディーが流れ、その楽しそうな様子に思わず、ぷっ、と吹き出してしまい、それまでの絶望感がふと、和らいだそう。
そう、らもさんにとっては「その日の天使」とはこの焼き芋屋さんだったのでした。

わたしが思うにアートとは、こんな「その日の天使」のひとりではないのでしょうか。

ひとが生きていく中で衣食住は必要不可欠で、美術や音楽といったアートは無くても生きていける、そう思っている人は多いはず。
しかし、思い起こしてみてください。
仕事でいやな事があった後、ひとりになり、ipodのスイッチを入れる。
そこから流れるお気に入りの音楽にふさいでいた気持ちが少し楽になる、または本屋でふと手にとった写真集の鮮やかな色に、なんだか明るい気持ちになる。
そんな経験が誰にでもあるはず。

しかも、そんな「天使」の姿は人によってそれぞれです。
クラシック音楽が「天使」の人もいれば、ロックが「天使」の人も、現代アートが「天使」の人もいます。

そして「アート」と言うと大げさのようですが、ちょっとしたCM音楽や広告、芸能の中にも「天使」がいると思っています。

そして、そんな「天使」達は日々の生活のそこここにちょこんと隠れていて、知らずに私達を助けてくれているようです。

「MERRY」のたくさんの笑顔もそんな「天使」だとわたしは思っています。

※写真はわたしの「その日の天使」。育児雑誌のお仕事で出会ったスタイリストさんのお子さん「はっちゃん」です。かわいいです。。